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第二回は、著者の「一次集団の貢献」という言葉を手がかりに、身近な人やモノとの関係の中で、技術や暮らしがどのように成立しているのかを考えた。 そこから、リアルな空間における郷土料理と農協の「第二の分水嶺」を超えた現状から、コンヴィヴィアリティのあり方を考えた。さらに、家族との原体験を手がかりに、自分達が現在どのような一次集団の中にいるのかを確認した。

⚪︎話の見出し⚪︎


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「第二の分水嶺ー制度が需要をつくる」

おはようございます。

お願いします。おはようございます

2回目ですよね今回。 前回やって、今回は限界設定みたいなところ。52ページからですね…こんなに急に始めていいですか。

大丈夫です。

始めながらやろう。 P52ページでは、限界設定みたいなことが書いてあります。最後から5行目ぐらいに「制度は私たちの需要をますます形作るようになっているだけではない。」とあります。さらに、「諸制度が生産できるものを需要するようになると、やがて私たちはそれなしにはやっていきないと信じるに至る」という話があります。これが第二の分水嶺の話だと思いました。そのあと教育の発明の話になっていくんですよね。

また第2の分水嶺の例え話として、教育の話が出てきて、教育は発明されたものだと書かれています。なぜならば中世末期の偉大なる秘技であった錬金術に深い源があると書かれていて、ヨハン・アモス・コメニウスが創始者の一人として挙げられています。

教育のシステムっていうものは出来上がったって、「学校に行けば賢くなる」という社会的信仰が形成された過程がP54ページとP55ページに書かれています。 P55ページの一つ目の段落では、「産業主義的生産様式は教育と呼ばれる目に見えない新商品を製造することによって初めて十分に合理的根拠を与えられた偉大なる技術があって教育は科学という環境に適応する新しいタイプの人形を生み出す錬金術的過程の探求となった。」ここら辺もちょっと分かりづらいですが、P54ページの錬金術の話を現代に持ってきて、科学という社会的信仰と重ねているように読めました。p56までその話が続きます。進んでって大丈夫ですか。

大丈夫です。ありがたい。今回は説明した方がいいような気がします。