
場の作法を学ぼうとする態度と、自らの外部性を引き受ける態度の2人が、『コンヴィヴィアリティのための道具』の自立共生的な再構築を読んだ全5回。無課金のzoomで時間になると強制的にシャットアウトされながら、オンライン上で集まり読み合う。コンヴィヴィアリティを料理という技術を切り口に「一緒に料理をする」事で捉えるための読書会。
第一回は前章の二つの分水嶺を読み終わり、読書会での著者の解釈と共に、「産業的な部分(文化経済学的)」と「人文的な部分(文化人類学的)」からお互いの言葉を重ねていこうとする。 後半では、範疇を定める事で人以外のモノとも相互関係を意識しようとする。既存の農村地域のレイヤーから、特定の料理をする地域のレイヤーへと移ろうとしていく。 (第1回 5/25:Ⅱ.自立共生的な再構築 p37~p51)
第二回は、著者の「一次集団の貢献」という言葉を手がかりに、身近な人やモノとの関係の中で、技術や暮らしがどのように成立しているのかを考えた。 そこから、リアルな空間における郷土料理と農協の「第二の分水嶺」を超えた現状から、コンヴィヴィアリティのあり方を考えた。さらに、家族との原体験を手がかりに、自分達が現在どのような一次集団の中にいるのかを確認した。 (第2回 6/8 :Ⅱ.自立共生的な再構築 p51~p65)
第三回では、第二の分水嶺の便利さと副作用など、「分からないもの」を含めて環境を見る。 自分が認識できているものは全体のごく一部であると自覚する態度が重要になる。 これは読書会における「虚心」、つまり自分の理解を絶対視せず、他者の異論を受け入れる態度にもつながっていた。著者のイリイチという場において、私たち話者の外部から何が見えるのかと、場の作法を知ろうとする態度の違いが現れ始めた。 (第3回 6/22 :Ⅱ.自立共生的な再構築 p65~p79)
第四回では、技術は専門家が持つ完成品ではなく、人が自分の「場所」に合わせて使い、調整して行くものではないかと話した。世代が変われば、専門化された社会のあり方も変わっていく。今の「場所」は、オンラインとモバイルによって、かつて「山の向こう」にあった世界まで手の中に入ってくる。そこでは、信仰や儀礼を通して魑魅魍魎と自立共生していたのとは異なり、プラットフォーム企業が、その世界に集まる消費者を囲い込んでいる。世界を手元に引き寄せる技術によって、わたしたち自身もまた囲い込まれているが、その中で「しつらえて」いくことで、「場所」を身につけていこうとしていた。 (第4回 7/6 :Ⅱ.自立共生的な再構築 p79-p94)
第五回では、生活を使いこなす技術がその人の範疇の中でどのように継承され、変化し更新されていくのかについては、十分に書かれていないのではないかという問いが残った。そして、コンヴィヴィアリティとは「自分が暮らしている生活をどう使いこなし、その生活条件に対してどうやって介入していくのか。」と読んだ。ここから郷土を考えれば、そこには寄り合いという集まりがあった。それは雑談でもあったのかもしれない。範疇を形成するには、縁を動力とした、いつまでも続くような寄り合いという装置があり、一方、オンライン読書会では、zoomの制約によって、その装置が強制的に停止させられる。しかし、暮らしの一部となったオンラインの向こうにも、「顔を向けたい」という人の態度が間を埋めていく。それは、場所や装置が変わっても、人と人の間に生まれた縁は残っていくのだと、考えさせてくれた。 (第5回 7/20:Ⅱ.自立共生的な再構築 p94-p107)